vol.20 「古代日本の山の中」
・山窩(さんか)の生き方
・メキシコのヤキインディアンの末裔のルハン・マトゥス
・ドン・ファンの本当の名前
前回はですね、空海さんの話をちょっとしました。
空海さんは、 いろんな学び、その当時、国内で学べる学びを。
当時、飛鳥時代じゃなかったかな、 あそこに入るちょっと前かな、平安時代末期かな、その辺ですよ。その辺はもう、やっぱしもう戦乱。
平安って、平安のように見えるけども、結構、 政争っていうかな、政治争い、要するに、藤原氏とか平氏の源氏のってなんたらかんたで、 やっぱ殺し合いとか蹴落としあいとかある。
それが嫌になっちゃう人がいっぱいいて。まともな人いっぱいいるんですよ。例えば、まんだらけっていうのは割とまともな人なんですよ、みんな。そういうの嫌いな人で、そういう人はみんな山へ行っちゃうの。地上にいると、荘園制度とかあって、やっぱ年貢みんな持ってかれるわけです。 上にいたら上にいたで、もう政治争いとか権力争いね。で、まともな人はもうそれ見て、あぁやだやだって思っちゃうわけよ。
じゃあどこ行くかって、どこにも行けないから山に行ってだいたい死んじゃうんですよ。ところが、山には山の生活があるの。
山窩(サンカ)ってのもあるんだね。山窩って知らないかな。明治じゃなくて昭和の初期まで非人ってあったんですよ。人にあらずって。差別、差別部落ってのは結構あったんだけど、差別用語で非人ってのがあって、山窩ってのは差別されてたんだよね。もちろん警察とかも山窩ってのは、山賊みたいに思ってたし。
今けっこう、その昔、朝鮮人が戦後けっこう差別されたとかあるけども、そんな比じゃないよね。もう人間じゃないんだから、非人ってのは。人間と違う、そういう差別されてたのがいて、それの大元が山窩って言われてたの。明治以降の山窩っていうのは、 ちょっともうダメになっちゃったんだけど、普通の人になっちゃったんだけど、江戸期より前の山窩っていうのは、 人間的にはすごく優秀だった人が多い。クズもいっぱいいたよ。人間を食ったりした人間もいたけど。
前もって言っとくけども、どこのコミュニティにおいても、どんな集団においても、すごい良い人もいればクズもいると。 これは覚えておいてほしい。
国にしても、日本にしてもアメリカにしても、イスラエルにしても中国にしても、ロシアにしても、すっごく優秀な人いるよ。人類の基本になる、人類を率いていけるような人もいれば、本当に見下げ果てたクズもいるんですよ。それがたくさんいるか少なくいるかは、その配合によって、その国がどうなってるかって決まってるけども、 どのコミュニティにおいても居るよってことを宇宙全史は言ってます。それは真実だよ。
で、その山窩においても、 大概やっぱ優れた人が多かった、山窩には。なんでかっつうと、やっぱその下界のことが嫌になってみんな行くわけじゃないですか。山の上に行っちゃうわけだから。そうすると、どうしたらまともに生きれるかっていうのはあるもんね。まず、自立しなきゃいけないじゃん。要するに、米もないし、塩もないし、魚もいないしね。だから、そこで生きていく術を覚えるわけね。それには、自分のことは自分でやんなきゃいけない。要するに、着物もないし、着るものもないし、暖も取れないでしょ。住むとこも作んなきゃいけない。食料も薬もない。病気になったらおしまい。 怪我もできない。
だからどういう生き方をしたらいいかっていうと、彼らの山窩の生き方っていうのはものすごく優れてる。それは今は全部途絶えてしまいました。かろうじてね、メキシコのヤキインディアンの末裔のファン・マトゥスっていうのがいて、彼の系統がそれをやってたよね。
もう今はもうないけどね。カスタネダで終わっちゃった。カスタネダって人が本書いてて、ドン・ファンシリーズってのがあって、その本に詳しく書いてあるから、そういうの知りたかったら、それを見ればいいんですよ。
ほぼ山窩の生き方だよね。ちょっと違うんだけど、もう少し精神的な高みだよね。もうちょっと、山窩よりははるかに高いね、やっぱ。ドン・ファンの生き方のほうが、かなり高い生き方してたね。ドン・ファンの生き方は宇宙全史にもすごく、というか僕にも影響を与えてます。ドン・ファンにもコンタクトしてて、ドン・ファンの本当の名前はね、なんつったかな「星を刈るもの」っていう、星、キラキラスターですね。星を狩るってのは、鹿狩りとかあるじゃないですか。
ドン・ファンの本当の名前ってのは絶対、世界中誰も知らないと思う。カスタネダも知らないと思うけども、僕は聞いたんですかね、あのドン・ファンから。
彼の幼名なんですね。幼い頃の名が「星を刈るもの」っていう、ヤキでは発音がわかんないから言えないけども、日本語で言うと「星を刈るもの」っていう意味の名前だった。
山窩に話は戻るんだけども。空海がですね、山に入ると山窩ともコンタクトするわけですよ。 空海が入る前にもうすでにその宗教者で。
やっぱ下界の宗教ってのはもうその頃も腐ってたわけ、つまんないの、もう教条に走ってたわけ。要するに、もう決まり切ったこと。例えば儀式。 お香を炊いたり、あるいは、なんだっけあれ。なんか炊くでしょ、密教。どんどこどんどこどんどんどんって、焚き木みたいなやつ。あれ、なんつったかな、 護摩でしたっけ。護摩を焚いたりとか。あんなの焚いたって力がないと何にもなんないんだけど。力がある人が炊くから護摩の意味があるんだけど、素人は分かんないよね。最澄がそうだったんだよね。
最澄ってのは、さっき言った空海が弘法大師、法を広げる大師だよね。で、最澄が伝教大師。教えを伝える大使でしょ。最澄は覚醒してなかった。出来なかった。
でも、比叡山っていうのは凄くて、弘法大師の後のその高野山っていうのは、 超能力を使えたんですよ。ちゃんと未だに超能力使える人いますよ。で、比叡山っていうのは、 教えを延々伝えてったから、その影響力っていうのはものすごくある。で、後世日本の宗教界に与えた影響っていうのは最澄の方が大きいんですよ。でも、本当の教えを教えたのは空海なんですね。同じ密教でもこれだけ違うわけ。また喋りすぎちゃった。
空海が山に入ってからの話いっぱいあんだけど、これ全然喋れてないんで、また次回話します。